デュポン・ブラッドライン 13-4 - Childhood's End

デュポン・ブラッドライン 13-4

デュポン家は王家(キングス)と呼ばれます。たとえ人々がイルミナティ・キングスの王朝であることを知らなかったとしてもそう呼ばれています。デュポン財閥は世界三大財閥の一つであり第一次世界大戦・第二次世界大戦では火薬や爆弾を供給し莫大な利益を得て「死の商人」と呼ばれました。またマンハッタン計画に参加しワシントン州ハンフォード・サイト、テネシー州のオークリッジ国立研究所でウラニウムの分離・精製やプルトニウムを製造、核兵器「原子力爆弾」開発に関与しました。マンハッタン計画には前に開設したバンディ家など13血統のものが多く参加しています。悪魔の儀式に奉仕したかは分かりません。今回は秘密のサタニズムとの関係をあまり指摘できませんが、彼らはかつてイルミナティ創設者ヴァイスハウプトの薫陶をうけた思想家の血筋でもあります。また家族企業のオフィシャルな動向をリストアップすることはできます:。

デュポン家は男女を含めた家族評議会をもって一族を運営していたとされています。また多くの場合、いとこ同士での結婚が行われてきました。家族主義、血統主義の強い一族です。彼らはアメリカ独立戦争と火薬工場で最初の財をなしたとされています。今日でもとりわけ軍需・化学産業において強い力を維持しています。

デュポン家の伝記は、通常、1737年にフランスのパリでサミュエル・デュ・ポンとアン・アレクサンドリーヌ・モンテヤニンの結婚から始まります。アンはフランスのブルガンディに住んでいた貴族の出身です。デュポンにオカルトの力を与えたのはアンの血統だったと言われますアンの血統はおそらく古イスラエルのダビデの家に結びつくかもしれません。ミュエルとアンの息子はピエール・サミュエル・デュ・ポンでした。その後、ピエール・サミュエルは、デュポンと呼ばれるフランスの立法府との間の混乱を防ぐために、彼の名前にド・ヌムールを追加しました。ピエール・サミュエル・デュ・ポンは天才でした。できませんでした。彼は12歳でギリシャ語とラテン語を翻訳をマスターするなど非凡な少年でしたが、父親から頻繁に殴られた為、彼は家を出ました、彼の叔父ピエール・ド・モンシャンティンが彼を養育したと言われています。当初ピエールは時計職人でしたが、卓越した文才によって様々な経済、政治を論ずる記事が当時のトップイルミナティの注目を集めました。

 ピエール・サミュエル・デュ・ポン

 ピエールはフリーメーソンに加わりました。当時のフランスではあまり盛んではありませんでしたが、イルミナティ創設者ヴァイスハウプトがフランス革命に深くかかわった段階でイルミナトゥスとなったと考えられます。ピエールはフランス革命後に深刻な財政難を経験しましたが、フランスのフリーメーソン組織に定期的に支払いを行っています。当時の全ての有名なメイソンと関係を保っていたことに加えて、革命中に彼の潜伏を助けた天文学者ラランデと深い親交を持っていました。才能を認め、フランス革命の間に非常に強力な彼を保護したパトロンがいたとされていますがそれが誰かはわかっていません。彼を保護した人物は革命の後にもスイスの金融家ジャック・ネッカーの娘であるゲルマルヌ・ド・スタール夫人などがそうだと言われています。彼女は有名なサロンを経営していました。マダム・ド・スタールは初期イルミナティの核心的メンバーである聖サイモンの親密な友人でした。彼女と聖サイモンは地球上の技術的な変革と、新しい両性具有人類(アンドロギュノス)の生物学的創造を本気で考えていました。そのための地下研究施設もあったとされます。ピエールの友人は危険な思想のグループであり、イルミナティが悪魔崇拝者と言われる大きな根拠となっています。

彼はその後、トマス・ジェファーソンと活動を共にしています。彼は高位のメイソンであり、明らかに重要なイルミナトゥスでした。ジェファーソはピエール・サミュエルの親友であり、助けが必要なときにピエールの人生のいくつかの重要なポイントでデュポンを援護しました。ジェファーソンは、デュポンが火薬事業に入ったとき、最初の政府オーダーを手配しました。ベンジャミン・フランクリンもまた秘密結社の一員であり、ピエール・サミュエルの親友でした。ベンジャミンが1776年12月にフランスに到着したとき、彼は最初にピエールに会いに行きまた。その翌年、デュポンはパッシー村のフランクリンの住居を頻繁に訪れた。1783年、デュポンはアメリカの独立を決めるパリ条約テーブルでフランクリンと一緒に座ることを計画していたがジョン・アダムズはフランスの関与なしにアメリカ人にイギリスとの条約に署名をさせた。この条約についての陰謀的役割が現在知られているアレクサンダー・ハミルトンは、米国におけるデュポンの弁護士でした。

ビクター・マリー・デュポン と エレウテール・レネ・デュポン             

ヴァイスハウプトとルソーの弟子ラファイエットの側近でした。ビクターが1800年に家族がアメリカに来る前にフランスのメイソンだったかどうかは分かりません。ビクター・マリー・デュポンは、到着後すぐにアメリカのフリーメーソンに関わった。彼の熱心な活動と昇進の記録はデラウェア州のフリーメーソンの記録に残っています

ピエール・サミュエルには、ポール・フランソワ(1ヶ月で亡くなった)とエレウテール・レネの2人の息子がいました。エレウテール・レネは父親のイルミネーションを得るステップをなぞりました。エレウテール・レネもまたラファイエットの側近でした。

フランス革命のメインプレイヤーであるラファイエットは共産主義、社会主義的思想の水源であり、真の彼の目的はフランスでの教会弾圧などを誘導したことからある程度推測できます。彼はヴァイスハウプトとルソーに直接教えを受けた一人です。

1800年1月3日、デュポン族は壮大な計画を立て、アメリカに到着した。彼らの計画の一部は新しい社会を作り出すものでした。しばらくの間ビクター・マリーと彼の父親は新世界の壮大な計画を検討し、エレウテール・レネ・デュポンはデラウェア州で火薬事業を始めました。この成功は、いくつかの不自然な要因に起因しています。

フランス政府は彼に極秘の精製技術を与えました。それは最先端の技術で易々と他国に渡せるものではないはずですが彼らはフランスから技術者をわざわざ提供しました。

デュポンには様々な場所に友人がいましたが、資金調達、ビジネス、土地などを得て、さまざまな方法で彼らを助けました。エレウテール・レネ・デュポンは父同様に知的で、事業に対しては勤勉であったとされています。彼が火薬事業を成功させていなければデュポン家は歴史に沈み、別の家族が彼らの代わりをしたかもしれません。

デュポンはデュポン社と、地理的にはアメリカのデラウェア州を拠点としています。単純に州知事、州議員のみを見るだけでその影響力の強大さを図ることが出来ます。フリーメイソン、血族、支援候補が継続して選挙に勝利しています。

またデュポン火薬工場は強力に業界を支配していました。1802年に創業されほんの短い時間で、彼らは世界で最高品質の火薬精製技術を持っていました。米国は1802年からアメリカ軍はデュポン火薬に依存してきました。ヘンリー・デュ・ポン(1812-1889)は、彼が38歳のときに火薬製造の指揮を引き継いだ。彼は非常に権威主義的で、ボス・ヘンリーとして知られていました。彼の狭量で後ろ向きで権威主義的な考え方は火薬市場の支配にもかかわらず、デュポン社を一度傾かせました。彼が死んだとき、アルフレッド・I・デュポン、ピエール・サミュエル・デュ・ポン2世(1870-1954)、トーマス・コールマン・デュ・ポン(1863-1930)が様々なデュポン製造事務を引き継いだ。この権限移譲は、老朽化したデュポン工場を復活させました。彼らは残りの火薬メーカーを買収し、軍需産業の絶対的な独占を確立しました。彼らはデュポン工場を近代化し、デュポン帝国を完成させました。

デュポンの子供たちを家庭教師にするために1852年に雇われた家庭教師、R.ペイジ・ウィリアムソンは、デュポンの子供たちは非常に甘やかされ、一緒に働くのが難しいと手紙で記述しました。子供達はまるで王族のような教育を受けています。1872年、ヘンリー・デュポンはラフリン&ランドとハザードパウダー社を結集し、銃粉貿易協会を結成しました。協会が行ったことは、火薬の3つの大手メーカー間の競争を排除し、このカルテルの独占を完成することです。最終的にデュポンは他の多くの小さな火薬会社をほぼ買収し業界を統一しました。

初期デュポン社の経営はそもそも資本主義の禁じ手をあますことなく使い癒着やインサイダーで強引に独占を完成させます。これらの人々が独占について説明したとき、彼らはその状態を「断片化した混沌とした産業に秩序と安定をもたらした」と呼びます。ただその手法は強引ではありましたが、デュポン家の資産は他のトップファミリーとは対照的に勤労、生産することによって堅実な方法で作りました。そこがデュポン王朝が繁栄を続ける基盤でありとても強固な家族であることを示しています。

彼らは火薬に留まらず、他の機械、化学分野に出資し事業を拡大していきます。例えばデュポン家は草創期の自動車産業に着目し、1914年にはピエール・デュポンがゼネラルモーターズ(GM)に出資しました。後に彼は社長に就任し、彼の指揮とデュポン社の支援の下、ゼネラルモーターズは全米一の自動車会社となりました。 ※現在GM株は全て放出している。

その後科学分野においてもナイロンや合成ゴムなどデュポンの発表した技術は毎日目にすることが出来るでしょう。加えて言えばデュポン社が関わって来た事業の多くは悪名高いモンサント社やアポロ計画、地球温暖化などイルミナティのアジェンダの化学的側面において必ずと言っていいほどデュポンの名が関係しています。デュポン家の由来は間違いなくヴァイスハウプトが源流となっており、700人と言われる親族のうち現在もイルミナゥスを多く持っているであろうことは容易に想像できます。

※ 2015年12月11日、ダウ・ケミカル社との対等合併を発表し、2017年9月、両社は「ダウ・デュポン」(DowDuPont, Inc.)として経営統合されました。