ニコラテスラと陰謀論 - Childhood's End

ニコラテスラと陰謀論

ニコラテスラとは何者か。ここ10年ほどで彼の功績に対する評価はどんどんが大きくなっています。米国テスラモータースのCEOであるイーロン・マスクは社名を彼の名からとったとしています。近年ではドナルド・トランプを含む陰謀論の中で彼の「世界システム」や隠された特許について話されることもあります。

 

偉大な発明王エジソンと競合した天才ニコラの功績はあるいは意図的に隠された部分があるかもしれません。二人の関係はとても微妙なものです。彼は当初エジソンの元で働きましたが、数年で袂を分かち独自の研究を開始しました。

ニコラ・テスラ1856年7月9日午前0時、クロアチアのリカ州スミルジャンで生まれました。彼は自分の出自について「私はセルビア人ですが、祖国はクロアチアです」と語っています。交流(AC)誘導電動機について閃いたのは。ブダペストの公園で友人と歩いていた26歳の時です。ニコラは強烈な閃きを体験し、その時の事をこう語りました。

そのアイデアは稲妻のフラッシュのように私に起こり、第二に真実が自分自身を明らかにしました。すぐに木の棒で私は砂の中に図を描いた

1893年に彼のモーターの特許を取得し、同じ年にシカゴの世界コロンビア万博においてそれを世界的に発表しました。その後、1896年に世界初の水力発電がナイアガラの滝から送られ、バッファロー市で実現されました。ニコラ・テスラは、ジョージ・ウェスティングハウスの援助を通じて、今日世界中で使用されている電力システムの基礎を築きました。多くの科学者や個人は、テスラの先見性を認め、今日の発明の多くの創始者であると彼を認定しています。

テスラのどこが魅力的なのかについてですが、1つはタイムトラベルで見てきたかのような独創的なヴィジョンにあります。彼は現在どのような発明に取り組んでいるか直接は言及していませんが、豊富なアイデアとヴィジョンをインタビューで示しています。例を挙げてみましょう。テスラの1891年の発明であるカーボンボタンランプ(「ブラシ」)の発明に際して語った内容は電子顕微鏡の基礎理論です。「ブラシ」はサイクロトロンなどの技術にも関連しています。またテスラは、無線真空管の先駆けと考えられる真空電球についても言及しました。彼は目に見える光と目に見えない光について話し彼の研究室でぼやけた写真プレートを説明しました。世界初のX線に関する言及です。そして、ニコラが「炎を作り出し、物質や化学反応を消費せずに燃える」と表現したとき、彼はプラズマ物理学に挑戦していたのではないでしょうか。蛍光灯の開発の50年前、ニコラは蛍光体でコーティングされた地球儀を作り、ガスで満たされたチューブを照らしました。これだけの逸話だけでも彼がいかに独創的天才であったか推し量れます。多くの人が魅力される理由の一つです。

彼が語った未来の技術についてまとめてみましょう。宇宙線、レーダーサイト、高周波・マイクロ波、スペース ナビゲーション コード、超低温、電気療法、衛星へのエネルギー供給システム、個体トランジスタ、などなどです。イーロン・マスクの宇宙事業を行うスペースX社が行う衛星インターネット構想「STARLINK」はテスラへの熱いオマージュを感じます。

電気を研究していたテスラは、「共鳴現象」への関心を通じてさらなる刺激を受けました。ユビキタステスラコイルは、電気と振動の相乗効果の証拠です。一方の端に絶縁されたハンドルからの電源コードともう一方の端に共鳴するように調整された一次および二次コイルで、テスラコイルは、差し込まれると振動し、共鳴を開始します。小型テスラコイルは、高電圧と高周波を生成し、すべてのラジオやテレビで何かの形で使用され、大学の科学研究所でも見つけることができます。

 

この「共鳴現象」電気から核融合まで科学のあらゆる側面をカバーしています。振動のない宇宙には何も存在しない。ニコラは振動が波を作り出す物体同士の急速な往復運動であることを知っていました。1898年には拳より小さい発振器を作り、長さ2フィート、厚さ2インチのスチールリンクに取り付けたとき、共鳴がこれらの波が別の物体に影響を及ぼすことを知っていました。実験の様子をニコラはこう語っています。

長い間、何も起こらなかった。しかし、ついに..大きなスチールリンクが震え始め、それが拡張し、鼓動する心臓のように収縮するまで、その震えが増加しました。そして、最終的には砕けてしまった。

彼の理論はしばしば別の科学者から批判や冷やかしがありましたが彼のコメントは自信を示し、時には鋭い挑発も行いました。中でも有名なのは「天才とは1%の閃きと、99%の無駄な努力である。」というものです。

彼の日没の年に、テスラは、すべての物質は、すべてのスペースを埋めた一次物質、発光エーテルから来たと信じていました。いわゆる「エ―テル宇宙論」です。これは彼が傾倒した大きな間違いのある仮説として語られます。しかし彼の語った技術は常に核心をついていたことは事実であり、それを根拠にエーテルを信じている人は稀にいます。気持ちはよくわかりますがさすがに飛躍しすぎかもしれません。

彼は晩年こう語っています。

「私は、私のシステムが人類の負担を軽くし、快適さを高めるために世界中で使用されていることを知り、表現できない満足感を絶えず経験しています。」

彼は常に人類の為、発明と研究に没頭しました。1943年1月7日午後10時30分にホテルニューヨーカーの部屋で冠状動脈血栓症(当時86歳)で亡くなりました。

彼が陰謀論にどのように登場するか、それは晩年、彼の家に出入りしていたジョージという少年についてのウワサです。テスラは彼を嫌っていました。彼が研究資料を盗み見たりしたためです。その後彼は法廷闘争に巻き込まれています。そして彼の死後、研究資料の一部(もしくは大半)を米国政府機関が接収した、と言われます。これがテスラの隠された特許をめぐる陰謀論の始まりです。